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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)5953号 判決 1964年4月07日

原告・反訴被告 城南信用金庫

理由

一、原告の被告会社に対する請求について判断する。被告会社代表者代表取締役田中勇夫は、原告の請求の原因について、明らかに争わないので、これを自白したものとみなす。

右事実によれば原告の被告会社に対する請求は理由がある。

二、次に、原告の被告浅沼ふなおよび被告浅沼知子に対する本訴請求について、判断する。

(1)  原告の本訴請求の原因(5)の事実は、被告浅沼ふなおよび被告浅沼知子の認めるところである。

(2)  まず、訴外金庫と被告会社との間および、被告会社と被告浅沼ふなとの間の関係についてみることとする。

(証拠)を総合すれば、昭和二七年頃、外岡憲治および沖山貞雄は、吉田正雄のポマード製造の技術を利用し、当時の訴外金庫の専務理事田中昌平が資金を援助するということで、化粧品等の製造販売を目的とする株式会社のサントロール本舗(以下「サントロール本舗」という。)を設立し、田中昌平と深い関係にあつた秋元静江方をポマード製造工場等に使用し、サントロールという商品名のポマード(以下「サントロール」という。)の製造販売を開始した事実、その頃、訴外金庫または田中昌平から、秋元静江に対し、または、同人を通してサントロール本舗に対し、資金的に援助がされた事実、その後、サントロール本舗の経営は不振であり、昭和二八年八月頃、吉田正雄は、サントロールの製造についての協力をやめ、外岡憲治もサントロール本舖の経営から退き、田中昌平と親しい西村市太郎および秋元静江が、サントロール本舗の代表取締役となつたが、実質的には、沖山貞雄だけとなり、サントロール本舗の本店を、目黒区内の沖山貞雄の知人宅に移転した事実、その後更に、サントロール本舗は、株式会社としての活動もなく、主として、沖山貞雄が、サントロールの製造販売を小規模に継続していた事実および沖山貞雄は、昭和二九年七、八月頃、被告浅沼ふな方住居の風呂場、六畳一間および玄関口一坪を借り受けて、サントロールを製造していた事実が認められ、右認定に反する証人田中昌平の証言部分は、措信しない。

次に、証人久保清の証言によると、訴外金庫の職員をしていた久保清は、昭和二九年四月頃、訴外金庫のサントロール本舗に対する貸金が回収不能となつているが、同本舗の製品であるサントロールの品質は、優良であるから、同本舗の運営が改善されれば、訴外金庫が、同本舗に貸付をすることもありうることを聞き、沖山貞雄から、実情を聴取した事実が認められる。

また、(証拠)を総合すると、昭和二九年八、九月頃、久保清は、斉藤保と共に、沖山貞雄に対し、田中昌平の意を受けて来た旨を伝えたうえ、有力な出資者があるから、サントロールの製造販売の一切の運営を委せるように交渉して、その承諾をえた事実、一方、久保清は、訴外金庫の大口預金者であつた田中勇夫からポマードの製造販売の会社の代表取締役に形式的に就任することの承諾をえた事実、昭和二九年一〇月から同年一一月にかけて田中勇夫がサントロール本舗の代表取締役に、斉藤公宏こと保、久保清のほか、沖山貞雄、被告浅沼ふなが取締役に、それぞれ就任し、サントロール本舗の商号が被告会社と変更され、同会社の本店が、豊島区雑司ケ谷町七丁目一、〇〇〇番地に移転された旨の各登記を経由した事実、被告浅沼ふなが、取締役に就任した旨の登記がなされたのは、同被告が、斉藤保、久保清の依頼により、形式的に取締役として名を連ねることを承諾して、印鑑を預け、その印鑑により、斉藤保が、その登記手続をしたことによるものである事実、被告浅沼ふなは、従来、沖山貞雄に、その所有にかかる住居の一部を、サントロールの製造のために、貸与していた関係上、被告会社に対し、沖山貞雄の斡旋により、その所有の家屋の一階全部と二階一間を賃貸することにした事実、昭和二九年八、九月頃、久保清、斉藤保が、関与してからは、沖山貞雄は、サントロールの製造業務についてのみ従事し、資金の調達は久保清が、全部これを行い、斉藤保は、経理販売事務を行つていた事実が、認められる。

(3)  次に、原告の本訴請求の原因について、判断する。

証人杉山寿太郎の証言によれば、訴外金庫は、昭和二九年一二月頃、当時の訴外金庫の理事長田中昌平の命令により、久保清の持参した被告会社および被告浅沼ふなの共同振出名義の額面金二、〇〇〇、〇〇〇円および金一、一〇〇、〇〇〇円約束手形二通、本件建物の権利証、浅沼ふな名義の委任状、浅沼ふなの印鑑証明書を受け取つて、被告会社に、金三、一〇〇、〇〇〇円を貸し付け、右金員を被告会社の当座預金口座に振替入金したというのであり、右貸付は、新規の貸付であつたというのである。ところが、証人久保清および斉藤保の証言によれば、右約束手形二通のうち、金二、〇〇〇、〇〇〇円の約束手形は、書替であり、現実に、被告会社が、訴外金庫から金員を借り受けたのは、昭和二九年一一月頃で、同額の約束手形を持参して借り受けたというのであり、また金一、一〇〇、〇〇〇円の約束手形は、被告会社の商号変更前の訴外金庫に対する債務を手形としたものであり、昭和二九年一二月頃は、現実に金員を受け取つていないというのである。そこで、右証言の採否について、検討すると、すでに認定したように、被告会社と訴外金庫または同金庫の理事田中昌平とは、昭和二七年頃から、経済的に関係をしていたのであるから、証人久保清および同斉藤保の陳述しているごとく、昭和二九年一一月頃、訴外金庫が、被告会社に金員を貸与したこともありうるし、そのことを杉山寿太郎が知らなかつたことも考えられる。しかし、証人杉山寿太郎の証言を、直ちに措信しえないとすることもできない。また、原告提出の甲第三号証の一は、真正に成立したと認めるに足る証拠はなく、仮りに、真正に成立したものと認められる程度の立証がされたとしても、右書証の記載だけでは、訴外金庫が、被告会社に金員を貸し渡した日が、昭和二九年一一月一一日であり、その額が、金三、一〇〇、〇〇〇円であると認定するに十分な証拠とはならない。このことは、原告提出の甲第四号証の一、二が真正に成立したものと認められる程度の立証がされたとしても同様である。結局、前記の証人杉山寿太郎の証言とこれと反する証人久保清および同斉藤保の証言のいずれを採るべきかについて確信を有するに至らない。

しかし、(証拠)を総合すれば、少くとも、訴外金庫は、昭和二九年一二月頃までに、被告会社に対し、金三、一〇〇、〇〇〇円を貸し渡した事実は、認めることができる。

しかしながら、原告が、請求原因(1)において主張するような弁済方法、利息、損害金および期限の利益を失う場合についての特約については、これを認めるに足りる証拠はない。原告提出の甲第三号証の一は、すでに述べたとおり、真正に成立したと認めるに足る証拠はなく、仮りに、真正に成立したものと認められる程度の立証がされたとしても、右書証の記載だけによつて、原告主張のような、弁済方法、利息、損害金および期限の利益を失う場合の特約について、訴外金庫と被告会社との約定の事実を認めることはできない。

結局、原告の本訴請求の原因(1)のうち、訴外金庫は、被告会社に対し、昭和二九年一二月頃までに、金三、一〇〇、〇〇〇円を貸し渡した事実だけが認められる。

(4)  次に、原告の本訴請求の原因について判断する。

証人杉山寿太郎の証言によれば、昭和二九年一二月項、久保清が、約束手形二通(甲第一、二号証)、被告浅沼ふなの印鑑証明(甲第三号証の二、三、甲第四号証の三、四)、同被告の白紙委任状および本件建物の登記済権利証(甲第六号証)を持参したがその際、久保清から、被告浅沼ふなが、担保提供者である旨を聞いたというのであり、証人久保清は、その証言中において、甲第一、二号証の約束手形の印刷文字以外の文字の筆跡は、斉藤保のものであり、甲第一号証の約束手形を書いて貰うために、被告浅沼ふなに会つてはいないし、被告浅沼ふなの印鑑証明(甲第三号証の二、三、甲第四号証の三、四)、同被告の委任状(甲第四号証の二)を被告浅沼ふなから、直接受け取つたことはないし、同被告が、訴外金庫に対し、被告会社の債務を同被告会社と共同して支払うとか、本件建物を担保に提供するということは、沖山貞雄に聞いただけである旨を陳述し、本件建物の登記済権利証(甲第六号証)は、被告浅沼ふな宅において、同被告から直接受け取つた旨を述べているが、証人斎藤保は、その証言中において、約束手形二通(甲第一、二号証)の印刷文字以外の部分は、記入したが、被告浅沼ふなに対し、右記入前に話したことはないと陳述する一方、被告浅沼ふなの印影は、同被告に押捺して貰つたと述べており、また同被告から、印鑑証明(甲第三号証の二、三甲第四号証の三、四)および委任状(甲第四号証の二)を受け取つたことはなく、本件建物を担保に供することは、被告会社の訴外金庫に対する債務とは関係がないと陳述し、証人沖山貞雄は、その証言中において、右各印鑑証明および委任状は知らないと陳述し、右各証人によつては、右印鑑証明および右委任状が、どのような経緯で作成されたか、また、それらが久保清の手に渡つた事情も明らかでなく、他に、右の点を明らかにする証拠は、全くない。そして、被告浅沼ふなの本人尋問の結果によれば、甲第四号証の二の委任状を作成したことはないというのであり、右委任状が、同被告の意思にもとずいて作成されたことを明らかに認めるに足りる証拠は全くなく、右各印鑑証明の他に甲第四号証の二の委任状が、訴外金庫に渡つている事実のみをもつて、原告の本訴請求原因(2)の事実を認めるのに十分とすることはできない。

ところで、被告浅沼ふなの本人尋問によれば、同被告は、昭和二九年九月か一〇月頃、同被告は斎藤保に、その当時のいわゆる実印(以下「旧印」という。)を、会社に必要があるといわれて見せたところ、印相が悪いから改印するよう強く勧められ、改印するために旧印を渡したことがあり、同年一一月中旬頃、新しく作られた印鑑(以下「新印」という。)を受け取つたが、新印に改印する旨の届出はしたことがない旨陳述しており、証人沖山貞雄も、その証言中において、被告浅沼ふなと同時に、斎藤保に改印のため、印鑑を渡したことがある旨陳述している。この点証人斎藤保は、その証言中において、被告浅沼ふなから印鑑を預かつたことはないが、印相の話はしたことがあり、被告浅沼ふな等が、印鑑を変えた旨陳述したのであつて、すでに説示した理由第二項の(2)において認定したように、被告会社の取締役更迭の登記手続をしたのは、斎藤保であるので、証人斎藤保の右証言部分は、措信しえなくなる。

そうすると、斎藤保が、昭和二九年一〇月頃から一一月頃までの間に、被告浅沼ふなの旧印および新印を所持していたこともありうるし、斎藤保が、被告浅沼ふなの旧印の印鑑証明の入手、改印届新印の印鑑証明の入手、被告浅沼ふな名義の委任状、約束手形の作成等をする機会もありえたと考えられる。そして、成立に争いのない甲第三号証の二、三および甲第四号証の三、四ならびに被告浅沼ふなの本人尋問の結果によれば、甲第三号証の二、三は、新印の印鑑証明であり、甲第四号証の三、四は、旧印の印鑑証明であることが認められ、甲第一、二号証の約束手形二通および、甲第四号証の二の被告浅沼ふな名下の印影が同被告の印章によつて顕出されたものであることは、同被告の認めるところであるが、被告浅沼ふなの本人尋問の結果によれば、甲第一、二号証の約束手形の印影は、新印であり、甲第四号証の二の印影は、旧印であることが認められる。従つて、斎藤保が、甲第三号証の二、三、甲第四号証の三、四の各印鑑証明の発行を直接受け、甲第一、二号証の約束手形二通、甲第四号証の二の委任状の被告浅沼ふなの印影を押捺したとも考えられる。仮に、そうだとすると、証人久保清および同斎藤保が、その各証言中において、それぞれ陳述している甲第一、二号証の約束手形二通に書替られる以前に、被告会社および被告浅沼ふなの共同振出名義の約束手形二通があつたとしても、被告浅沼ふなの印鑑を押捺して、作成したのではないかとも考えられる。

すでに認定したように、被告会社の資金の調達は、久保清が行ない、斎藤保が、事務を行なつたのであり、被告浅沼ふなの取締役、田中勇夫の代表取締役は、形式的なものであるが、この事実と、証人沖山貞雄の証言を併せ考えると、久保清および斎藤保が、被告会社を実質的に経営しようとしていたと認められる。従つて、証人久保清および同斎藤保が、その各証言中において、それぞれ陳述しているように、久保清が、昭和二九年九月か一〇月頃、田中勇夫から、資金の融通を受けたとしても、それは、久保清が、田中勇夫から、金員を個人的に、借り受けたと考えられ、そして、これを、被告会社の商号変更、役員更迭の各登記手続の完了するまで暫定的に、サントロールの材料費、その他の経費に充てたと考えられる。そうすれば、証人沖山貞雄の証言および被告浅沼ふなの本人尋問の結果によつて、沖山貞雄および被告浅沼ふなが、昭和二九年九月か一〇月頃、斎藤保から、現金(その額は別として)を受け取り、これに対して、沖山貞雄および被告浅沼ふなが、約束手形を振り出した事実が認められるが、その金員は、久保清および斎藤保が、沖山貞雄にサントロールを引き続いて製造させ、被告浅沼ふなに、その所有にかかる家屋を提供させる必要上、支払つたものと認められ、これに対して振り出された約束手形は、久保清が、他に、資金の調達に利用するためか或いは他の目的のために、沖山貞雄および被告浅沼ふなに振り出させたのではないかとも考えられる。そうすれば、被告浅沼ふなが、斎藤保から現金を受け取り、約束手形を振り出したことは、久保清および斎藤保とサントロールの製造販売或いは被告会社の経営に関心を有していたということには至らない。

又、証人杉山寿太郎の証言によれば、訴外金庫の被告会社に対する貸付は、訴外金庫の理事長田中昌平の命令により行なわれたというのであり、すでに認定したように、久保清は、昭和二九年四月頃、訴外金庫が、サントロール本舗に貸付をすることもありうることを聞いて、沖山貞雄から実情を聴取したのであるから、久保清は、サントロール本舗と訴外金庫または田中昌平の関係を知つており、被告会社として、訴外金庫から貸付を受けることが容易であると考えていたものとうかがえる。そうすれば、久保清は、被告会社として訴外金庫から貸付を受けるに際し、その手続上の形式を整えるため、本件家屋の所有者である被告浅沼ふなの名義および物的担保としての本件家屋を利用しようとしたこともありうると考えられる。仮に、そうだとすれば、久保清は、何等かの機会に入手した甲第六号証の本件家屋の登記済権利証と斎藤保をして、甲第三号証の二、三、甲第四号証の三、四の各印鑑証明を受けさせ、甲第一、二号証の約束手形二通或いは、その書替前の約束手形二通および甲第四号証の二の委任状に、被告浅沼ふなの印鑑を押捺させ、これらを、訴外金庫に持参して、同金庫から貸付を受けたとも考えられる。

以上述べた点において、証人久保清および同斎藤保の証言は、直ちに措信できるものとしえない余地があり、他の証拠をもつてしても、これを補いえない。

そして、他に、被告浅沼ふなが訴外金庫に対し、被告会社の債務について連帯保証をし、かつ、本件建物について抵当権を設定した事実を認めるに足る証拠はない。

結局、原告の本訴請求の原因(2)の事実は認められないから、原告の被告浅沼ふなに対する本訴請求は理由がなく、従つて、原告の被告浅沼知子に対する本訴請求も、その余の点について判断するまでもなく、すでにこの点において、理由がない。

三、反訴請求について判断する。

反訴請求の原因(1)(2)(3)の事実は、当事者間に争いがなく、原告が、主張するような、被告浅沼ふなが、昭和二九年一一月一一日、訴外金庫に対し、被告会社の訴外金庫に対する債務を担保するために、訴外金庫のために、本件建物について、第一順位の抵当権を設定する旨を約した事実が認められないことは、すでに本訴についての判断において、示したとおりである。

そうすれば、主文第三項記載の抵当権設定仮登記は、原因を欠き無効であるから、原告は、被告浅沼ふなに対し、右仮登記の抹消登記手続をする義務があり、被告浅沼ふなの反訴請求は、理由がある。

四、以上のとおり、原告の本訴請求のうち、被告会社に対す請求は、理由があるので、これを認容するが、被告浅沼ふなおよび被告浅沼知子に対する請求は、理由がないので、これを棄却し、被告浅沼ふなの原告に対する反訴請求は、理由があるので、これを認容することとする。

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